弓弦羽神社(ゆずるはじんじゃ)神戸市東灘区御影郡家2-9-27

弓弦羽神社(ゆずるはじんじゃ)神戸市東灘区御影郡家2-9-27


御祭神:伊邪奈美尊(イザナミノミコト)・速玉男命(ハヤタマノオノミコト)・事解男命(コトサカオノミコト) 
    配祀神:天照皇大神(アマテラシマススメオオカミ) 素佐男尊(スサノオノミコト)

 由 緒
 社伝によると、「往古、神功皇后、三韓より御凱陣の時、忍熊王が反乱したのを知り、皇后自らこの地に弓矢甲冑を納め、熊野大神を奉斎し祈念した。恒武帝の御宇、延暦年間(8世紀末)弓弦羽ノ森を神領地と定め、嘉祥二年(849)正月十四日神祠を造営し遷座した。この時、熊野別当慶覚『摂津國灘浦遊鶴羽之峯権現ノ故事当官文庫ニ記録アリ云々』と祝文を贈る」とある。
 亀山帝の御宇、文永二年(1265)諸国に荘園を設けて郡司を置いた際、此の里にも郡司を置きたる由来により此の里を郡家という。
 此の地は古くより栄えた処で、郡家・御影・平野の三村の総氏神としてかなりの社勢を誇っていたようである。更に江戸時代後半になると、氏子地域の酒造業や廻船業が力をつけ、社殿の造営を度々行なった。文化九年(1812)には、知恩院宮より「御撫物」を賜り、御安全長久の御祈願所となった。
 境内は約八千平方メートルで樹齢数百年を越す楠・椋・松等が生い茂り、重厚な本殿・拝殿と相まって、都会の中とは思えないほど、清々しい気持ちにさせてくれる。 
 平成七年の阪神淡路大震災で、社務所・鳥居等に大きな被害が出たが、復興を願う氏子崇敬者の浄財によって平成十年秋に新社務所も竣工し、大方の復興終えた。
【神戸の神社】 兵庫県神社庁神戸市支部・編著より


社頭
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参道入口・社号標
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参道
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鳥居
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鳥居奥の神木
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神戸市 指定 天然記念物 第7号  平成15年 3月26日 指定
弓弦羽神社の椋木(ムクノキ)
胸高周囲  4m30cm
根廻り   5m
樹 高  16m
枝張り  17m
推定樹齢 350年
 椋木(ムクノキ)はニレ科の落葉樹高木で、本州・四国・九州の低地に多く成育している。
 この木は、兵庫県に於いては胸高周囲で21番目、阪神間では西宮市の物についで2番目、神戸市内では最大である。
 樹勢は大きな枝枯れもなく良好で、今後も成長していくものと思われる。
 平成15年 4月 神戸市教育委員会


参道
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境内
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拝殿
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中門
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本殿 御祭神:伊邪奈美尊・速玉男命・事解男命  配祀神:天照皇大神 素佐男尊
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拝殿前の狛犬
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末社 相殿 十二社
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天満宮 祭神:菅原大神  (学問の神)
蛭子宮 祭神:蛭子神   (恵比寿神・商売繁盛の神)
猿田彦大神 祭神:猿田彦神  (交通安全の神)
靈符神 祭神:北極星   (星宮之社・方位の守護神)
水神宮 祭神:罔象賣神  (水の守護神)
舩玉神 祭神:豊玉比古命 (船の守護神)
荒神社 祭神:竈之神   (かまどの神)※旧 松尾社
金刀比羅社 祭神:大物主命  (航海安全の神)
高良宮 祭神:武内宿祢  (厄除・長寿の神)
八幡宮 祭神:應神天皇  (国家鎮護の神)
稲荷大明神 祭神:倉稲魂神  (衣食住守護の神)
秋葉宮 祭神:火彦霊神  (火伏の神)


末社 松尾社 祭神:大山咋命 中津島姫命
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安政五年(西暦一八五七年)築 
本宮は京都の嵐山にあり、古くより酒造りの守護神として酒造家の崇敬が篤い。 御影は灘五郷の真ん中であり、現在も酒造会社が松尾講を組織し祭典を奉仕している。 平成二十七年に銅版屋根の葺き替え並びに勾欄等の修繕を行った。
弓弦羽神社さんのHPより


◎「遥拝所」と◎「明治天皇御製の歌碑」
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大江市松翁と弓弦羽神社
 大江市松翁は、明治4年(1871)5月2日御影濱弓場にて、米穀商の大江清兵衛の三男として生まれました。大江家は阪神御影駅が出来た当時は、駅から他人の土地を踏む事なく自宅に帰れると言われ、御影の浜と言わず大江の浜と言われた程の素封家で、同28年には一族の共同出資で御影貯金銀行を創業しました。
 市松翁は、二宮尊徳を尊敬し、彼の報徳思想を実践する為、明治41年に「報徳組合共済会」を、同43年に「御蔭(おかげ)報徳会」を設立しました。(御蔭(おかげ)は御影(みかげ)になぞらえると共に「報徳」の心をあらわす)更に、同44年には、御影字掛田116番地(現:御影中町6丁目)に「報徳実業学校」(現在の報徳学園)を開校しました。
 又、伊勢の神宮、橿原神宮等を篤く尊崇する敬神家でもあり、氏神である当社も数々のご寄進を受けております。 市松翁からのご寄進の主な物は次の二つです。
◎「明治天皇御製の歌碑」 昭和9年7月建立
  明治天皇 御製
   日の本の国の光のそひゆくも
    神の御稜威によりてなりけり
      伊勢大神宮 少宮司 菟田茂丸 謹書 
◎「遥拝所」 大正15年3月竣工 神明造 一坪四合
 遠く離れた所から神仏などをはるかにおがむことを遥拝(ようはい)といいます。
 遙拝所とは神社境内などに特別に設けた遙拝の場所(建物等)です。一般的には (伊勢)神宮遙拝所・宮城(皇居)遙拝所と称し、祈願したい所に向って設けてあります。建物の奥の白布を通しそれを思い浮かべ、遙拝(祈願)をいたします。当社の場合は、神宮・皇居の他に、少し右(南)方向になりますが元宮である熊野三山をも遙拝しております。

報徳実践の人生を終生歩み「御影の尊徳先生」と慕われた翁は昭和18年2月1日生涯を閉じました。享年73歳。墓所は、御影北小学校の山側の御影霊園内にあります。


弓弦羽神社とサッカーのご縁の事
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弓弦羽神社とサッカーのご縁の事
①八咫烏
 弓弦羽神社は約1200年前にこの地に、熊野大神様をお祀りしたのが始まりです。「八咫烏」は、熊野大神様のお使いとして知られておりますが、近年では日本サッカー協会のシンボルマークの方が有名です。
 サッカー協会の方は3本目の足でサッカーボールをつかんでいます。 当社の「八咫烏」は弓弦から放たれた矢に乗って、一直線に目標を向かう「導きの八咫烏」です。
②御影は日本サッカーの発祥の地
 御影の地は、日本サッカーの発祥の地と言っても過言ではありません。
 氏子地区内の、阪神御影駅の北側にかって、「御影師範学校」(後の神戸大学教育学部)があり、この師範学校日本初のサッカーチームが出来ました。
 兵庫県は(神戸市)はサッカー王国だった。
 御影師範は大正7年(1918)大阪豊中グランドで始まった日本フットボール優勝大会(現高校選手権大会)で初回より連続7大会優勝をなしとげました。但し地域予選を行う全国大会となったのが大正15年(1926)の第9回大会からで、それまでは「日本」と名乗っても、近畿のローカル大会だった為、正確には日本一とはいえません。しかし゛全国大会となった第9回以降も御影師範が4回、神戸一中(後の神戸高校)が4回、準優勝は神戸一中と神戸三中(後の長田高校)が各1回と、14回の大会に兵庫県代表が8回優勝し、10回決勝に出ています。
③御影石のサッカーボール
 御影は御影石でも有名ですが・・・このサッカーとのご縁をもって御影石でサッカーボールを作りました。このボールにも矢に乗った八咫烏がいます。真中にステンレスの軸が入っていて横にグルグルと回ります。ピッチの中で、全方向にチャンスを窺がうかの様です。


力石
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力 石
 神社の境内に置かれたもので、力量をためし又は祈念するために奉納した物です。 江戸を中心に各地の神社で行われ、江戸時代末期から明治初期に流行しました。形の多くは卵形で差上げた者の“氏名”と“重量”が刻んであります。石に神霊の憑る思想が基礎となってそれを差上げることによって神の感応を知る一種の石占いが、その始まりであるとも言われています。
☆新川七五郎
池辺村(横浜市都筑区池辺町)の出身若林性、生没年不詳、享年53才 江戸新川(東京都中央区新川)の「タルコロ職」であったと思われる。
☆新川は関西方面から船荷が着く所で、下り酒問屋等立ち並んでいた。「タルコロ」とはその荷揚げに従事する者の通称であった。
七五郎は慶応3年(西暦1867年)4月大阪力持ち番付に記録があり度々関西方面で、力持ち興業を行っている。興業先の嘉藤熊治郎家脇の舞台で、俵曲持芸終了と同時に卒中で死亡した。家督をを相続した兄の所に、死亡先埋葬願の下書きが残されており、そこには「神奈川県橘樹郡池辺村百十三番 力持芸人 若林七五郎 本年 53年」とある。本家の子孫の話では渡米したことも伝えられている。
☆七五郎刻銘のある力石は当社の物を含めて7基確認されている。
①稲荷神社(横浜市都筑区川向町)明治6年(西暦1873年)
②杉山神社(横浜市都筑区池辺町)明治4年(西暦1871年)
③郵船倉庫(東京都中央区箱崎)現在行方不明
④当神社 (神戸市東灘区)文久元年(西暦1861年)
⑤長田神社(神戸市長田区)文久元年(西暦1861年)
⑥沼名前神社(広島県福山市鞆町)安政5年(西暦1858年)
⑦尾道市立美術館分館(広島県尾道市駅前商店街)年号なし
当社の力石の 刻銘
「 豊年石奉納 文久辛酉秋 御影世話人 平野喜助 谷田音吉  江戸鬼熊門人新川七五郎 大阪荒物屋松本辰五郎 持之 」
【江戸鬼熊門人新川七五郎】
鬼熊とは、江戸後期に活躍した力持ちで門人がいた。名は熊治郎(性不詳)鬼のような力持ちであったことから鬼熊と呼ばれた。当時江戸神田鎌倉河岸の酒問屋「豊島十兵衛」のタルコロであった。
(新川七五郎の事は福島県右住の金井晃様より御教授をいただきました)


玉祓
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御本殿の鬼板と勝男木
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御本殿の鬼板と勝男木
弓弦羽神社の御本殿は明治3年に、年造営され、神戸市内でも最大級の木造流造の御本殿です。
当初は檜皮葺でしたが昭和11年に銅板に葺替、令和元年に2度目の葺替を行いました。
屋根の箱棟の両側には千木と鬼板があり箱棟には五本の勝男木が乗っております。
ここから見上げると、そんなに大きな物と思えませんが、大きさを実感していただく、昭和11年より令和元年まで、御本殿にあった物を展示しております。
鬼板は厚さ6寸(18cm)の「桧」を彫刻しその上に銅板で覆います。
勝男木も、胴張円柱の「桧」の周り全てを、銅板にて覆います。
鬼板の中心と勝男木の両端には金色の神紋「橘」の錺金具を付けています。(錺金具は取外し、メッキをやり直して現在の御本殿の屋根の上にあります。)



西出入口
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儀式殿
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社務所
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手水舎
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愛犬用水飲み場
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境内案内板
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弓弦羽神社は
 熊野大神(伊弉册命・事解之男命・速玉之男命)をお祀りする神社です。
 桓武天皇の御宇延暦年間(790年頃)に、この弓弦羽の森を領地と定め、嘉祥2年(西暦849年)正月14日に 遷座以来千二百年近い歴史を誇ります。
(鎮座地)神戸市東灘区御影郡家2-9-27
     (旧地名:御影町御影字弓弦羽ノ森)

弓弦羽神社 八咫烏 紋
【導きの八咫烏】
 八咫烏は八本足のカラスで熊野大神です。
 最近ではサッカー全日本代表チームのシンボルマークでも知られております。
 弓弦羽神社でもカラスは神使いとして特別の崇敬を受けております。「加楽寿」と書いて楽しみと(長)寿とを加える非常に縁起がよい鳥です。
 この意匠は社名をちなんで弓弦より解き放たれた矢に乗って目標に一直線に向かい私達の生活の指針を示し下さるように願いを込めた「みちびきの八咫烏」です。

主要建物
 御本殿  流造 八坪 明治3年再建 令和元年大修造
 拝殿   入母屋造 鑓破風向拝付 27坪 昭和3年再建 平成17年大修造
 十二社  流造 神社境内の末社を統合し相殿とする。弘化4年(1847)造営
 松尾社  流造 12社の内より遷座す 安政5年(1858)造営
      酒造守護の神 御影は灘五郷の中心で酒造家より特に篤い崇敬をうける。

年中行事
 1月 1日   歳旦祭 吉例 鏡開き 振舞い酒
 1月 3日   元始祭
 1月15日   どんと(正月〆連縄御焚上)
 2月第4日曜日 祈年祭
 5月3、4日  春季大祭 地車(だんじり)祭
 6月30日   大祓 茅の輪くぐり
 7月第3日曜日 夏祭 崇敬会大祭
10月15日   例祭 3年一度 近い日曜日神幸祭を斎行
11月中     七五三詣 祈願受付
12月31日   大祓 除夜祭





弓弦羽神社(ゆずるはじんじゃ)神戸市東灘区御影郡家2-9-27

交通公共 ◆阪急電鉄神戸線「御影駅」より南東へ250m徒歩5分
◆JR「住吉駅」より北西へ900m徒歩10分
◆阪神電鉄「御影駅」より北へ徒歩15分



令和5(2023)年11月21日 参拝   






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