味舌天満宮(ましたてんまんぐう) 摂津市三島3-9-3
味舌天満宮(ましたてんまんぐう) 摂津市三島3-9-3
由緒;
社伝によれば、源満仲の弟馬場満政9代の孫、止々呂美城主馬場信高の9代の孫にあたる馬場当次郎尚久が、味舌郷の一邑を開拓して馬場前村と称し、八幡大神を勧請し馬場宮と号した。 尚久の3世尚次が淀川の氾濫で荒廃した田地を整理している時に、天満天神の霊代を見つけて八幡宮に合祀。wikipediaより
社頭・社号標
鳥居
参道・境内
鳥居奥の狛犬・灯籠
拝殿
本殿 御祭神:菅原道真公(すがわらみちざね)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)・瓊々杵命(ににぎのみこと)・鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
上は拝殿から本殿を見ると・・・・・
拝殿前の狛犬
境内摂社 八幡神社 御祭神:応神天皇
境内末社 春日神社
境内末社 稲荷神社
遥拝所
撫で牛
手水舎
大阪府指定有形文化財(平成5年11月24日)
味舌天満宮本殿及び摂社八幡神社本殿について
現在の社殿は、大和柳本領主織田大和守尚長が寛永12年(1635)に造営したものである。尚長は、織田信長の弟であ長益(有楽斎・茶道有楽斎流の祖)の五男で味舌(現在の正雀三丁目附近)で生まれた。両殿は檜皮葺屋根(ひわだぶき)で正面の柱の間が一つしかない一間社流造(いっけんしやながれつくり)で、天満宮本殿は正面に千鳥破風(ちどりはふ)をつけ庇に軒唐破風を飾る。また 正面に四つの蟇股(かえるまた)を置いて、桁を支える意匠は珍しく、江戸前期の特徴が見られる。尚 両殿の欄干擬宝朱銘は全く同じである。
・摂津太田郡味舌村 天神社
・織田大和守尚長
・奉行 小関六郎左衛門
・奉行 蒔田藤近衛
・寛永12年已亥年九月吉祥日 境内案内板より
本殿
八幡神社
阪急京都線正雀駅東へ1km 大きな木々に囲まれた比較的広い境内で、静かな住宅街の中にありました。
本殿・八幡神社は震災・大阪空襲等の被害に遭う事無く保存されています。優雅で美しい形をしていました。
叉 社号標もユニークな形で神社を回り始めて、出会いは初めての形をしています。
平成25年(2013) 7月23日 参拝
いつも訪問を頂き、沢山の気持ち玉・コメントを有難うございます。
引き続き、これからも よろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!
由緒;
社伝によれば、源満仲の弟馬場満政9代の孫、止々呂美城主馬場信高の9代の孫にあたる馬場当次郎尚久が、味舌郷の一邑を開拓して馬場前村と称し、八幡大神を勧請し馬場宮と号した。 尚久の3世尚次が淀川の氾濫で荒廃した田地を整理している時に、天満天神の霊代を見つけて八幡宮に合祀。wikipediaより
社頭・社号標
鳥居
参道・境内
鳥居奥の狛犬・灯籠
拝殿
本殿 御祭神:菅原道真公(すがわらみちざね)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・天忍穂耳命(あめのおしほみのみこと)・瓊々杵命(ににぎのみこと)・鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)
上は拝殿から本殿を見ると・・・・・
拝殿前の狛犬
境内摂社 八幡神社 御祭神:応神天皇
境内末社 春日神社
境内末社 稲荷神社
遥拝所
撫で牛
手水舎
大阪府指定有形文化財(平成5年11月24日)
味舌天満宮本殿及び摂社八幡神社本殿について
現在の社殿は、大和柳本領主織田大和守尚長が寛永12年(1635)に造営したものである。尚長は、織田信長の弟であ長益(有楽斎・茶道有楽斎流の祖)の五男で味舌(現在の正雀三丁目附近)で生まれた。両殿は檜皮葺屋根(ひわだぶき)で正面の柱の間が一つしかない一間社流造(いっけんしやながれつくり)で、天満宮本殿は正面に千鳥破風(ちどりはふ)をつけ庇に軒唐破風を飾る。また 正面に四つの蟇股(かえるまた)を置いて、桁を支える意匠は珍しく、江戸前期の特徴が見られる。尚 両殿の欄干擬宝朱銘は全く同じである。
・摂津太田郡味舌村 天神社
・織田大和守尚長
・奉行 小関六郎左衛門
・奉行 蒔田藤近衛
・寛永12年已亥年九月吉祥日 境内案内板より
本殿
八幡神社
阪急京都線正雀駅東へ1km 大きな木々に囲まれた比較的広い境内で、静かな住宅街の中にありました。
本殿・八幡神社は震災・大阪空襲等の被害に遭う事無く保存されています。優雅で美しい形をしていました。
叉 社号標もユニークな形で神社を回り始めて、出会いは初めての形をしています。
平成25年(2013) 7月23日 参拝
いつも訪問を頂き、沢山の気持ち玉・コメントを有難うございます。
引き続き、これからも よろしくお願い致します。
明日も良い日で有ります様に!!
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